恐怖症のつらさ

恐怖症は、本人にとってはとても辛いものです。恐怖症も含めて精神疾患の場合には、痛みやつらさが目に見えないため普通の人には理解しがたいものがあります。たとえば怖くない人にとってはなんでもない指先が尖端恐怖症の恐怖の対象となりますし、ピエロ恐怖症などにいたっては何が怖いのか全く理解できないという人も多いでしょう。その怖さが多少はわかる虫や雷、飛行機などにしても、「そんなに怖がらなくても」などと思われがちです。

しかし、恐怖症はこうした対象を過剰に怖がることなので、本人にとってはそれが本当に怖いのです。しかも、子どものときはともかく成長してくるとその恐怖が過剰なものだということや、理不尽な怖がり方をしているということが自分でも理解してきます。その結果、周りに理解を求めることをしないようになり、「誰にも言わずに自分が我慢すればいいんだ」といって心を閉ざしてしまうことにもなりかねません。それでは恐怖症は全く改善されませんし、本人も周囲もますます辛い思いをすることになってしまいます。また、対人恐怖症などの場合には周りに相談しようにも人と接することに恐怖を感じるためなかなか相談もできず、一人で悩み続けてしまう場合もあります。

もちろん、恐怖症そのもののつらさもあります。視線恐怖症などの場合、電車に乗って出かけるだけでも相当なストレスとなり帰ってきたらクタクタということになりますし、潔癖症などの場合には人の集まる場所にいるだけでも不潔感がストレスになるだけではなく、行く先々で手を洗うなどの行動に自分でも疲れてしまうと言います。これが毎日繰り返されるわけですから、やはり恐怖症というのは本人にとってはかなり辛く、毎日生活するうえでたいへんな負担になっていることが理解できるのではないでしょうか。目に見えない精神疾患はなかなか周囲が理解しづらいところですが、そうして理解してもらえないことがまた本人のつらさにつながります。できるだけ理解につとめて、本人の負担を減らしていけるようにしていきましょう。

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